2014/12/26

気になる出来事

先週末に処方してもらった薬が明日で終わる。かなり症状が緩和したものの、頬の痛さと微熱がひかないため、慌ただしい明日を避け、今日再診に行った。

この時期の耳鼻科は老若男女問わず受診者が多い。今日もかなり待たされた。
そして診察。症状の問診と鼻の診察を終えて一言、「完全に蓄膿だねー」。
副鼻腔炎と言われた時も傷ついたけれど、ストレートに宣告されて乙女の心を持つ私はかなりショックだった。まあ、しゃーないけど。

また山ほどの薬を処方され、隣の薬局へ。
当然ここも大にぎわい。

待ち合いで隣に座ったのは小学校低学年の女の子とお母さん。
私がスマホで調べものをしていたら、興味深く覗きこんでいた。
そして、お母さんに言った。
「お母さん、電話って何ができるのー?」
子どもって好奇心のかたまりなんだね。

そして、その子はトイレに立った。
しばらくたって、お母さんもそのトイレに行き、すぐに戻ってきた。
お母さんも用を足したかったが、トイレが一つしかなかったんだ、と思っていたが、違った。

まもなくその子が帰ってきたら、お母さんが言った。
「トイレの鍵、閉めてなかったでしょ?」

それからずーっと娘に問うお母さん。
「何で閉めなかったの?」
「知らない人が入って来たらどうするの?」
「家のトイレと違って誰が入ってくるかわからないんだよ、そしたらどうするの?」
「何でこういうことをいっているかわかる?」
滔々と言うお母さん。きっと娘に考えさせて答えを言わせたかったと思うのだけれど、はたから聞いているとただただしつこい感じ。

考える時間も与えなければ、意図しない答えを娘が言うと「そういうことを聞いてるんじゃないの」と否定する。
危険だと思うのなら、その場で注意したらよかったんじゃないの?

考えられない子どもが多くなっている、と感じることが確かに増えた。
しかし、考える機会を与えない、すぐ怒る、ぐだぐたと長く説教する…、これでは、子どもは考えなくなるよな、と思った。怒られるのは嫌だから、怒られないようにすぐに答えを求める、というのも子どもの処世術なのだろう。

大人の責任は重い、と改めて感じた出来事だった。

2014/12/25

慈悲のこころ

先日、祖母の一周忌法要がしめやかに営まれた。
今年の1月1日に93歳で亡くなった祖母、もう間もなく1年が経つ。

読経後の法話では、「慈悲のこころ」についてお話しくださった。


「慈」とは、楽を与えること
「悲」とは、苦しさを取り除くこと

お釈迦様の教え、それは母の子へ与える愛情と同じもの


優しかった在りし日の祖母を思い出した。

2014/12/22

「万事休す」からの復活!

実はこのところずーっと体調が悪かった。
風邪が長引いてるな、と思っていたら、先週半ば頃から頭と頬が痛くなり、週末には発熱と変な色と味の痰が出始めた。

原因には心当たりがあった。
二週間ほど前、急に上の奥歯が欠け、少しだけ穴があいた状態だった。歯科に行く暇がなく、そのまま放置しておいたのだが、それから間もなくしてこの惨事(私にとっては!)、何だか上の歯が何本も痛い気がする。

ひとまず耳鼻科へ。
そこでは「副鼻腔炎」と診断され、山ほど薬を処方された。
原因は、アレルギーや空気の汚れ、歯から来るものなど色々あるそうだ。

そしてその足で歯科へ。
レントゲンをとり見てもらったが、どうやら歯から来るものではなさそうとのこと。あいた穴を埋めてもらい、治療は終わった。

歯が原因ではなかったとわかり安心したせいか、更に発熱したため万事休す、この土日は寝込んでいた。

しかしながら、気になるのは原因にあがった空気の汚れ。

お医者さんが仰ったのは、PM2.5や火山灰など、と。

火山灰ならよけいに心当たりがある私。
阿蘇山が噴火して火山灰がガンガン降っている最中に、私はランニングしてたっけ。
喉が痛いなあ、とは思っていたけれど、こんな後になって影響が出てくるとは!

しばらくランニングをお休みしなければならないかも、と悲しみにくれている。

今朝は4時に起床し、勤務校のキャロリングに参加、かすれ声ながらも讃美歌を歌い街を歩き、清々しい朝を過ごした。もう大丈夫、元気な私。

とりあえず、仕事にも忘年会にも穴をあけずにすんだのでよしとしよう。
処方された薬