2012/12/08

軍艦島へ

12/5(水)、「九州グリーン・ツーリズムシンポジウム 2012 in 長崎」の分科会に参加、軍艦島に行くことになった。

当日はとても寒く、海も荒れ模様で、軍艦島に接岸できるかどうかは行ってみなければわからないそう。

長崎港から伊王島、高島を経由して、いざ軍艦島へ。


近づいてくる軍艦島、小雨がぱらつき出した。

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雨の中無事に接岸でき、軍艦島へ上陸できた。
島内では傘の持ち込みが禁止されており、私は船内で販売されていた簡易カッパ(¥200)を購入し着用した。
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島内で立ち入ることができるのはごく一部。
上陸時間は40分、限られた時間内にガイドさんの説明を聞き、整備された歩道を歩く。

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歩いて行くことのできる一番奥のスポットで撮影した坑夫の住居のアパート。
1K6畳程の間取りに多い時には6人が住んでいたそう。
24時間稼働している炭坑に3交替制の勤務、住居には眠るために帰るだけだったようだ。


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坑夫たちは階段を上り、火気の持ち込みがないかの簡易チェックを受ける。
坑内で充満するガスに引火しないようにするためだ。
その後、炭坑へ向かうため、手すりだけが付いたエレベーターに乗る。
600m程真下に下りると、1~2kmの坑道を歩いて進み、ようやく仕事現場にたどり着く。
気温40℃、湿度90%という厳しい環境の中、石炭を掘り進む。

勤務を終え、また来た道を戻り、エレベーターで地上に戻る。
階段に見える黒い色は、坑夫たちが仕事を終え戻った際に足に付着した石炭の色なのだそう。


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高台に見えるのは、幹部職員たちの住宅。

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大きな建物は学校。右に見える橋脚はは石炭の輸送路の足場。

一時期は、5,000人が住んでいた「軍艦島」こと端島。
世界一高い人口密度を誇ったこともあったそう。
日本で最初に鉄筋コンクリートのアパートがつくられたのは、東京でも大阪でもなく、日本の西にある小さな島、この端島だった。
商店や理容店など生活に必要な施設だけでなく、雀荘や映画館などの娯楽施設もあったという。
近代産業発展の栄華がここにあった。

エネルギーが石炭から石油に変わり、炭鉱は閉山、1974年にはこの島の住民はひとりもいなくなった。

栄華のあとが残る端島。
毎日命をかけて働く坑夫と家族たちの生活や活気がここにはあったはずだが、生活のにおいはどこからも感じられなかった。
寂寥感を感じずにはいられなかった。

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日々風化し続ける端島。
今年の夏の台風と高波の影響で接岸箇所近くのコンクリート塀が崩れたそうだ。

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これは、当日撮影した端島の全景。
風化で毎日姿を変えているとのこと。
これと同じ姿をもう見ることができないかもしれない。