7/28(土)は、天草ハイヤ道中総踊りの開催日。
根っからのお祭り好きの私。
数年前に前職の企業で何度か参加したのだが、久々に参加してみたくなり、無理やりねじ込んで頂いた。
今回の参加団体はこちらである。
そして山車も。
ダスキン天草さんは、天草でミスタードーナツの店舗も運営してらっしゃるのでそのキャラクターの「ポンデライオン」。
天草ハイヤは、私が小さい頃から開催されているいわば歴史のあるお祭りなのだが、開催日や「道中」のコースが変わったりで毎年違ったカラーで楽しむことができる。
ちなみに今年の道中はこちら。
そして、娘に撮って貰った、踊る前の私。
写真では感じられないかもしれないが、やる気が漲っていた。
スタート直後のわたくし。
ちゃんと踊っているつもり。
運動不足で、途中で足がつったり、また往路でも復路でも足袋がずれ落ちたりと、本当にかっこ悪く私らしい展開だったが、とても貴重な楽しい経験をさせて頂いた。
年々、参加団体が減少しているのは寂しい限りだ。
地域活性のために、微力ではあるができる限り参加できたら、と思う。
最後になりましたが、ダスキン天草さん、この度は本当にお世話になりました。
2012/07/29
2012/07/25
決してそんなわけじゃ…
先日担当させて頂いた勉強会で、撮って頂いた写真を見て、唖然とした。
勉強会が始まってまもなくだと思うのだが、話しているというよりまるで歌っているような感じ。
別の角度から撮って頂いたものがこちら。
こちらもやはり「歌っている」?
そのように見えるのは、マイクを両手で持つから、と自己分析している。
①両手でマイクを持ち
②元気よく
③裏声で
④「ひなげしの花」を歌う
これは、アグネス・チャンの物まねをする時に心がけるポイントだが、それを意識していたわけではない。
そういえば…、と思い、今年1月に参加させて頂いた「女性版ペチャクチャナイト」のレポートを見てみた。
このイベントがきっかけで独立したといっても過言ではない、思い出深いイベントだ。
その時の思いもこのブログに記している。
話が逸れてしまった。
その時の写真がこちら↓
やっぱり歌っているように見える。
せめて仕事をしているように見えるようにはしたい、と猛省中である。
写真ネタついでにもうひとつ。
今年5月に、東京渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されていた「レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想」に行った。
そこに展示されていた「ほつれ髪の女」。
フライヤーにも描かれた「ほつれ髪の女」、柔和な表情が女性の持つ本能的な優しさを醸し出しているようだ。
この展示された絵画には、ダヴィンチの絵画論から引用しての解説が書かれていた。
「慎ましやかな女性を描くときはうつむき加減で斜めに向くのが良い」。
以前からの謎が解けたような気がした。
それは、私のプロフィール写真のことである。
斜め下向きの写真、それだけで「しとやかな女性」に見えるものらしい。
だから、私のプロフィール写真をご覧になった方は、私の印象を誤解なさるのだな、と妙に納得した。
勉強会が始まってまもなくだと思うのだが、話しているというよりまるで歌っているような感じ。
別の角度から撮って頂いたものがこちら。
こちらもやはり「歌っている」?
そのように見えるのは、マイクを両手で持つから、と自己分析している。
①両手でマイクを持ち
②元気よく
③裏声で
④「ひなげしの花」を歌う
これは、アグネス・チャンの物まねをする時に心がけるポイントだが、それを意識していたわけではない。
そういえば…、と思い、今年1月に参加させて頂いた「女性版ペチャクチャナイト」のレポートを見てみた。
このイベントがきっかけで独立したといっても過言ではない、思い出深いイベントだ。
その時の思いもこのブログに記している。
話が逸れてしまった。
その時の写真がこちら↓
やっぱり歌っているように見える。
せめて仕事をしているように見えるようにはしたい、と猛省中である。
写真ネタついでにもうひとつ。
今年5月に、東京渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されていた「レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想」に行った。
そこに展示されていた「ほつれ髪の女」。
フライヤーにも描かれた「ほつれ髪の女」、柔和な表情が女性の持つ本能的な優しさを醸し出しているようだ。
この展示された絵画には、ダヴィンチの絵画論から引用しての解説が書かれていた。
「慎ましやかな女性を描くときはうつむき加減で斜めに向くのが良い」。
以前からの謎が解けたような気がした。
それは、私のプロフィール写真のことである。
斜め下向きの写真、それだけで「しとやかな女性」に見えるものらしい。
だから、私のプロフィール写真をご覧になった方は、私の印象を誤解なさるのだな、と妙に納得した。
2012/07/09
キャッシュフローゲーム
昨日のこと。
いつもお世話になっている素敵な女性、Mさんが経営されているPlenty of Heartで開催されたキャッシュフローゲームに参加した。
キャッシュフローゲームとは、スタート時に決定した職業の給料を得ながら、毎月の支出を越える不労所得をいかに早く増やすかを考えるお金にまつわるボードゲームである。
ロバート・キヨサキ氏が自身の著書「金持ち父さん 貧乏父さん」より学んだ事をもとに考案したものだそうだ。
今回、私は初めて参加させて頂いた。
参加を決める際に、前述のMさんに「自分の思考パターンやお金についての考え方がわかるよ」と聞き、興味を抱いた。
とは言いながら、最初はただのゲームと思い軽い気持ちでいたのだが、実際にゲームが始まる前のファシリテーターであるMさん(♂)の説明で気軽さを捨てざるを得なくなった。
ホワイトボードに書かれたのは、損益計算書と貸借対照表。
収入、費用、資産、負債、と文字が並ぶ。
…それって、会計の世界のお話じゃ??
しかし、そうではなかった。
このゲームには不可欠なこれらを用いて毎月のキャッシュフローを求める。これがゲームのスタートである。
あとは、通常のすごろくの要領。
サイコロを振り、出た目の数だけ進む。
停まったところに書かれた指示に従う。
ただ、それだけ。
最初は、右上の丸い円をぐるぐると回る。
その模様は、ネズミが回し車をぐるぐる回る様子に似ていることから「ラットレース」と言われる。
ここから抜け出すためには、毎月の支出額以上の不労所得を増やさなければならない。
6名でゲームスタート。
停まった先の指示には、不動産の売買、株の売買などの投資にまつわる話や様々なものがある。
やみくもに投資すると破産してしまうし、手を出さなければいつまでたっても不労所得が増えずゴールできない。
自分の手持ちのお金とタイミング、借金をしてまでやることなのかどうか、様々な判断材料が頭を巡る。
ゲーム開始から2時間。タイムアップでゲーム終了。
「ラットレース」から抜け出したのは1名のみ。
結局、私はゴールできなかった。
振り返ってみると、チャンスがあったにも関わらず、ものにできなかった。
目標は明確だったのだが、そこに辿り着くまでのプロセスや通過点である小さな目標を描き出しきれなかったために、チャンスをチャンスと捉えることができなかったというのが正解だろう。
…それは、今の私自身ではないか? 事実を目の前に突きつけられたような気がした。
この日のゲーム参加者は、私を含めて6名。初めてお目にかかる方々ばかりだったが、皆さん様々な活動をしておられ、いろいろなお話をうかがうことができ、とても楽しかった。
今後の交流も楽しみである。
新たなご縁を頂くきっかけとなったMさんにはとても感謝している。
いつもお世話になっている素敵な女性、Mさんが経営されているPlenty of Heartで開催されたキャッシュフローゲームに参加した。
建物と草木の鮮やかなコントラストが素敵なPlenty of Heart
キャッシュフローゲームとは、スタート時に決定した職業の給料を得ながら、毎月の支出を越える不労所得をいかに早く増やすかを考えるお金にまつわるボードゲームである。
ロバート・キヨサキ氏が自身の著書「金持ち父さん 貧乏父さん」より学んだ事をもとに考案したものだそうだ。
今回、私は初めて参加させて頂いた。
参加を決める際に、前述のMさんに「自分の思考パターンやお金についての考え方がわかるよ」と聞き、興味を抱いた。
とは言いながら、最初はただのゲームと思い軽い気持ちでいたのだが、実際にゲームが始まる前のファシリテーターであるMさん(♂)の説明で気軽さを捨てざるを得なくなった。
ホワイトボードに書かれたのは、損益計算書と貸借対照表。
収入、費用、資産、負債、と文字が並ぶ。
…それって、会計の世界のお話じゃ??
しかし、そうではなかった。
このゲームには不可欠なこれらを用いて毎月のキャッシュフローを求める。これがゲームのスタートである。
あとは、通常のすごろくの要領。
サイコロを振り、出た目の数だけ進む。
停まったところに書かれた指示に従う。
ただ、それだけ。
最初は、右上の丸い円をぐるぐると回る。
その模様は、ネズミが回し車をぐるぐる回る様子に似ていることから「ラットレース」と言われる。
ここから抜け出すためには、毎月の支出額以上の不労所得を増やさなければならない。
6名でゲームスタート。
停まった先の指示には、不動産の売買、株の売買などの投資にまつわる話や様々なものがある。
やみくもに投資すると破産してしまうし、手を出さなければいつまでたっても不労所得が増えずゴールできない。
自分の手持ちのお金とタイミング、借金をしてまでやることなのかどうか、様々な判断材料が頭を巡る。
見よ、この真剣な表情を
ゲーム開始から2時間。タイムアップでゲーム終了。
「ラットレース」から抜け出したのは1名のみ。
結局、私はゴールできなかった。
振り返ってみると、チャンスがあったにも関わらず、ものにできなかった。
目標は明確だったのだが、そこに辿り着くまでのプロセスや通過点である小さな目標を描き出しきれなかったために、チャンスをチャンスと捉えることができなかったというのが正解だろう。
…それは、今の私自身ではないか? 事実を目の前に突きつけられたような気がした。
この日のゲーム参加者は、私を含めて6名。初めてお目にかかる方々ばかりだったが、皆さん様々な活動をしておられ、いろいろなお話をうかがうことができ、とても楽しかった。
今後の交流も楽しみである。
新たなご縁を頂くきっかけとなったMさんにはとても感謝している。
ファシリテーターのMさんを囲んでの記念撮影
2012/07/08
温故知新
私が高校生だったのは、かれこれ二昔以上前のことである。
あの頃から20年以上も経過したなんてことはまったく感じないのだが、明らかに時間は経過しているようだ。何とも不思議な感覚である。
私は熊本県の天草地方の出身であるが、高校時代は熊本市内で過ごした。
私の母校は、熊本県立第一高等学校である。
公立高校で男女共学のはずなのだが、私の在学中には女子生徒しかいなかった。
私の入学するかなり前から、また私が卒業してからかなり後まで、男子生徒はひとりもいないのだそうだ。
昨年男女共学推進運動が行われた結果、我が母校に今年、70名の男子生徒が入学した。
母校は一気に活気を帯び、男子生徒向けの部活動も創設された。
そして、本日、熊本県の高校野球の県予選大会の開会式が催され、入場行進の列に合わせて、母校の野球部員たちが学校創立以来、初めて闊歩した。
今日はそんな記念すべき日である。
そして今日は同時に、母校にて別の行事が開催された。
「物故者慰霊祭」と呼ばれるものである。
こちらは、前年6月から今年の5月までの一年間に逝去された恩師や卒業生など母校に関連のある方々のご遺族を母校にお招きし、故人を追悼する式典である。
私はご縁を頂き、先月より母校の同窓会の運営のお手伝いをさせて頂いている。
今回の「物故者慰霊祭」にも、スタッフという立場で関わらせて頂いた。
正直、運営のお手伝いをさせて頂くまで、この行事のことは知らなかった。
どのような行事なのか、まったく想像もつかなかった。
本日は、故人のご遺族や関係学年の方々が合計60余名が出席され、厳かな雰囲気のもと上記の次第が執り行なわれた。
故人を偲ぶご遺族代表のお話では、母校にまつわるお話や生前のエピソードを披露され、ご遺族の中にはお話下さりながら思わず涙ぐまれるシーンもあった。それを伺い、私も涙があふれて止まらなかった。
この「物故者慰霊祭」は毎年開催され、今年で97回目だそう。
同じ学び舎で学んだ仲間たちがこのような形で集うことに、また古くから受け継いでいるこの行事に深い感銘を受けた。
同時に、これまでの伝統を私たちがしっかり守って行かなければならない、と心に誓った。
あの頃から20年以上も経過したなんてことはまったく感じないのだが、明らかに時間は経過しているようだ。何とも不思議な感覚である。
私は熊本県の天草地方の出身であるが、高校時代は熊本市内で過ごした。
私の母校は、熊本県立第一高等学校である。
公立高校で男女共学のはずなのだが、私の在学中には女子生徒しかいなかった。
私の入学するかなり前から、また私が卒業してからかなり後まで、男子生徒はひとりもいないのだそうだ。
昨年男女共学推進運動が行われた結果、我が母校に今年、70名の男子生徒が入学した。
母校は一気に活気を帯び、男子生徒向けの部活動も創設された。
そして、本日、熊本県の高校野球の県予選大会の開会式が催され、入場行進の列に合わせて、母校の野球部員たちが学校創立以来、初めて闊歩した。
今日はそんな記念すべき日である。
そして今日は同時に、母校にて別の行事が開催された。
「物故者慰霊祭」と呼ばれるものである。
こちらは、前年6月から今年の5月までの一年間に逝去された恩師や卒業生など母校に関連のある方々のご遺族を母校にお招きし、故人を追悼する式典である。
私はご縁を頂き、先月より母校の同窓会の運営のお手伝いをさせて頂いている。
今回の「物故者慰霊祭」にも、スタッフという立場で関わらせて頂いた。
正直、運営のお手伝いをさせて頂くまで、この行事のことは知らなかった。
どのような行事なのか、まったく想像もつかなかった。
本日は、故人のご遺族や関係学年の方々が合計60余名が出席され、厳かな雰囲気のもと上記の次第が執り行なわれた。
故人を偲ぶご遺族代表のお話では、母校にまつわるお話や生前のエピソードを披露され、ご遺族の中にはお話下さりながら思わず涙ぐまれるシーンもあった。それを伺い、私も涙があふれて止まらなかった。
この「物故者慰霊祭」は毎年開催され、今年で97回目だそう。
同じ学び舎で学んだ仲間たちがこのような形で集うことに、また古くから受け継いでいるこの行事に深い感銘を受けた。
同時に、これまでの伝統を私たちがしっかり守って行かなければならない、と心に誓った。
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