2016/12/31

2016年の終わりに


大晦日の今日、日の入りを見に行きたくて年内最後のランニングに。

実は、昨日の午後から急遽39.6℃まで発熱してしまい、久しぶりに寝込んでしまった。
寒気と節々の痛みに襲われた以外は何の症状もなかった。薬は飲まない主義だし、発熱の時は身体が戦っている時なのでおとなしく寝ているに限る。
そのせいか、幸いにも朝には下がったが、本当につらかった。この急な発熱は一体何だったのだろう?身体が休息を求めていたのかもしれない。

そんな状態ではあったが、少しだけでも走りたかった。
あいにく雲におおわれて日が沈むシーンを見ることはできなかった。


明日、日がのぼれば新しい年が始まる。
いろんなことがあった2016年、起こったことをまだ消化できないでいる私がいる。
できれば、もう一度2016年をやり直させてはくれないだろうか。
そんな思いを抱えつつ新年を迎える。

2016/12/20

種子島へ向かう時に考えたこと

初めての種子島。
鹿児島港から高速船で向かう。

高速船はトッピーではなくロケットだった
初めて行くところでは、スマホの地図アプリを起動させ、現在地を確認しながら移動するのが好きだ。
今回も例にたがわずやってみた。
鹿児島港にて

現在地を確認しながら移動
湾を出ようとした時に右手を見ると、そびえ立つ開聞岳を見ることができた。

開聞岳
思い出すのは、知覧特攻平和記念館だ。
零戦や特攻艇とともに、たくさんの若い特攻兵たちの写真が展示されている。
その背景には開聞岳の写真が大きく展示されている。

彼らは戦地へ向かう機内で、いつもとは違う高さから開聞岳をのぞみ、覚悟を決めて旅立って行ったのだろう。別れたくない人たちの顔を思い描きながら。
そう思うと胸が痛んだ。彼らの犠牲の上に現在があることを忘れてはならない。

2016/12/12

再会

仕事が終わり、事務所から帰宅する途中の並木坂で、ふと視線を向けると懐かしい本が目に入った。

松谷みよ子著「私のアンネ・フランク」。

小学4年生の頃、入院していた私に母が買い与えてくれた本だった。
あれから何度も引越しを重ね、子どもの頃に持っていた本はもうどこへ行ったのかわからない。大人になってから読み返したいと思う一冊がまさにこれだった。

書店を通り過ぎ、歩きながら内容を思い出していた。
主人公の母と娘がアンネ・フランクに向けて日記を記す、というものだった。アンネが架空の友だちキティに向けて日記を書いていたように。
小学生だった私は、主人公の娘が書いた日記に興味を持っていた。都会に住んでいてバレエをやっていて猫を飼っていて、とどれも私とはかけ離れた生活ぶりに憧れを抱いていた。

先週行った沖縄で見かけたポスターにもアンネ・フランクの写真が掲載されていて、ついシャッターをきった。

アンネ・フランクと杉原千畝
沖縄にいると平和を考えさせられる機会が多い。


本に話を戻そう。
主人公の母が書いた内容については全くと言っていいほど思い出せなかった。
今の私はきっとこの母よりも年を重ねたはず。
どのような思いで娘と接していたのか、また戦争についてどのように考えていたのかを知りたい、と思い、来た道を引き返して、本を購入した。

約40年ぶりの対面となった本

写真で綴るNAHAマラソン

びっくりするほどつらかったNAHAマラソン。
写真でまとめてみた。
前日の受付時。
本当は制限時間6:15で完走できたらいいと思っていた。

9時にスタートの号砲が鳴った後に見つけたポケモンモンスターに扮したランナーさん。

公園内の神社前では盛大なお見送り。

まだスタート地点前。スタートからすでに20分経過。

10km過ぎた辺りで遭遇した琉球銀行のキャラクター「りゅうぎんロボ」。
背後のモニターにはランナーを応援するメッセージが!
その後、何とか第一関門の平和記念公園を通過。
制限時間まで残り3分、というギリギリの通過だった。

陽の当たるところでは陽射しが強く暑くてとても喉が渇いた。
エイドでは公設・私設ともに、かなり給水してくださっていたが、至るところの自販機に並ぶランナーの姿が散見された。

さとうきび畑を走り抜け、ようやく眼下に海が見えた。29km辺り。

上と同じ場所。目線を右に向けたところ。

この頃はのんびり走って歩いていた。
しばらく走ると後ろから広報車の声がする。よく見ると車の屋根には「最後尾」との表示が。
約4km先にある次の関門の制限時間を知らせるアナウンスではあったが、今走っているこの時点では、もう間に合わないので諦めなさい、というふうに捉えられた。
でも、諦めなかった私は、やはり34km地点の第二関門である豊見城市役所に制限時間3分前に通過した。

最後の関門も同様に3分前に通過した。この辺りはあまり記憶がない。


何とかゴール。

前日に購入したJALのミサンガ型引換券でオリオンビールをGet!
JALのCAさんと。

RunKeeper、ちゃんと動いてくれていた。

その後公表された完走率。史上2番目に悪かったのだとか。

2016/10/29

最近思うこと

ここしばらくFacebookへの投稿を控えている。
そして、これまでFacebookへ投稿した記事の公開をやめたため、私の個人ページは何も投稿されていない殺風景なものとなってしまった。
私のプライベートな投稿は、一体誰の役に立つ情報なのか?
ある時ふとそう思った。
私だけに必要な情報であれば、それを開示する必要はない、もはや開示しない方がいいのではないか?
それがきっかけで今に至っている。
私の場合、私なりのFacebookの利用ルールを設け、Facebook上の友達を2パターンに分けていた。
直接の知人の場合は、Facebook上でも「友達」として、そうでない方は「知り合い」として登録していた。
普段の投稿記事の公開範囲は「友達」に、プライベートなことを投稿する場合は「知り合い以外の友達」としていた。
前述のとおり、投稿と過去記事の公開をやめたことで、いろいろな憶測を呼んでしまったようだ。
「大病した」とか「精神的に病んでいる」とか。でも、いずれでもない。
困ったのは、
「ひょっとしたら、自分は嫌われたのではないか?」
と思った方がいたことである。
その方だけに記事を公開しなくなったと思われたらしい。
まさに予想だにしなかったこと、誤解を招く行動をしてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
Facebookは現実とネットの垣根があいまいで特に生々しく感じられ、私はそこに疲れを感じているのかもしれない。
ネットでのやりとりが当たり前になると、ネット上の人間関係を良好に保ち誤解を与えないために、気を遣わなければならないことが多すぎる。
話は直接会って五感をフルに使ってじっくり行いたい。
便利なネットの罪過を感じている。

2016/10/22

八代にて

今日は仕事で八代へ。
せっかく行くなら散策をしたい、と考えていたところに得た麦島 勝氏の写真展の情報。それも10月21日より開催なのだと。

もう4年前のことになるが、天草で開催された麦島氏の写真展で見た昭和の暮らしにとても感動した記憶が蘇った。その時のことはこちらに記録している。

今朝、出発前に新聞に目を通していたら、写真展初日の模様が記事として掲載されていた。麦島氏も来場されたのだそう。

写真展初日の模様を綴った地元紙

八代へは電車で行った。
最近はなるべく車を運転しないようにしている。
その方が移動時間を有効利用できるし、風景を楽しむこともできる。



八代駅は肥薩線の起点


八代駅に掲示されていたポスター

あいにくの雨はとても激しく降る

八代城跡 お堀にかかる橋


仕事を終え、八代市立博物館へ

未来の森ミュージアム 入口

入場券

写真展には164枚が展示されており、昭和の頃の八代、人吉、天草での写真が豊富にあった。昭和20〜30年代は私は生まれておらず知らない世界であるが、石炭が、漁が、観光が、と地域ならではの産業に関わる人々の活気と懸命に生きる様が写真を通して伝わってきた。まさに「古き良き時代」である。子どもも生活の担い手として家の手伝いや子守りをする。皆で支えあって生きていたことがわかる。現在は便利になりすぎた結果、時間の遣い方や人との関係など考え方や生き方に数々の弊害を招いたように思えて仕方がない。

麦島氏の写真は日常生活の一コマを捉えている。
中でも子どもたちが映った写真には思わず笑みがこぼれるほのぼのとしたものが多い。

「汽車ぽっぽはまだ来ない」
今回の展示作品で一番好きなのは「汽車ぽっぽはまだ来ない」である。
汽車を見たくて見たくてたまらず、線路の彼方をのぞき込む幼女がなんとも微笑ましい。


「紙芝居」
麦島氏の作品の中には紙芝居に関するものがいくつかある。上記の写真が今回展示されていたかどうかうろ覚えだが、「紙芝居」に関するものが1点あったことは記憶している。
なぜなら、写真を見て亡き父を思い出したからである。

父が幼い頃は昭和の復興期であり、皆が貧しい時代であった。しかしながら父は更に貧しかったのだそうだ。その証拠として話してくれたのが紙芝居屋のことであった。

夕方になると、どこからともなく紙芝居屋がやって来て、紙芝居を始める前に棒のついた飴を売っていたのだそうだ。子どもたちはそれを買い、舐めながら紙芝居を見ていたそうだが、貧しかった父はそれを買うことができなかった。買わずに前で紙芝居を見ようとすると紙芝居屋のおじさんに「あっちへ行け」とばかりに追いやられ、とても悔しい思いをしたそうだ。そこで意を決した父は、誰かが食べ終わって捨てられていた飴の棒を拾ってくわえ、いかにも買った飴を舐めているように演じて前方で紙芝居を見たそうだ。

麦島氏の写真を通して、私は父の幼い頃の姿を脳裏で見ていたようだ。今日見たであろう「紙芝居」の写真を覚えていないのだから。

麦島氏の写真はデジタルアーカイブされており、八代市立博物館のWEBページで見ることができる。私は「子ども・遊び・学校」というテーマを選択して出てきた写真を見ることが好きである。

昭和を生きて来た人も知らない世代も、生きることに懸命だった頃の日本の姿をぜひ見て頂きたい。

2016/10/20

スマホをやめたその後

スマホをやめた理由というブログ記事を書いたのは、2014年8月のこと。

あれから2年が経つが、いまだにアクセス数が多い記事である。
スマホをやめることについて、皆さんの関心が高いということか。

そんな私の最近の通信デバイスは以下の写真のとおりである。

SH-02H(左)とMicro X S240
結局、スマホを使っている。

左側は、docomo SH-02H、データ通信専用のSIMカードを入れている。ちなみに通信キャリアはFREETELの「使った分だけ安心プラン(ドコモ回線)」を利用している。
これは、その名称どおり、利用した通信量だけが課金されるというもので、毎月利用量が1GB未満の私は、毎月499円(税抜)を支払っている。
ここのSIMカードは、LINEのトークやポケモンGOで利用したデータ通信が利用料0円という点が魅力である。

SH-02Hの利用用途は、おサイフケータイとデータ通信である。熊本のバスや市電でも利用可能になったモバイルSuica、セブンイレブンで買い物する際にチャージして使うnanaco、買い物時にドコモポイントが利用できるLAWSONのアプリをよく利用する。
データ通信については、GmailMessengerLINEといったメッセージ系のアプリをよく利用する。あとはブラウザで調べ物をしたり、といったところである。


一方のMicro X S240は、POSHというメーカーのもので、画面サイズ2.4インチという小ささに惹かれてAmazonで購入した。こちらには、ドコモのSIMカード(カケホーダイ+データ通信)を入れて利用している。
主な用途は、通話とランニングのログ取得と音楽を聴くことである。Android OSの入ったスマホなので、Playストアからアプリをダウンロードできる。
しかしながら、画面がかなり小さく、当然表示される文字も小さいため、必要なアプリをダウンロードするための画面操作に一苦労した。ダウンロードしたいアプリをタップしたつもりでも微妙にずれて隣のアプリをタップしていたり。アプリ名を文字入力することがとても大変だった。
画面の操作性を上げようと、らくらくホンの画面のようなランチャーアプリBIG Launcherを入れてみたら、驚くほど使いやすくなった。
ランニング時に携帯することが前提なので、小さければ小さいほどよい。ただ、これを持ってからはまだ10km以上走っていないので、電池がどれくらい持つのかを試す必要がある。

もう一つ、スマモバのモバイルWi-Fiルーターも持っている。
これは、外出先でPCをネット接続したり、主催する勉強会で参加者のスマホやタブレットをネット接続させたりするために導入した。
通信各社の定額データ通信プランは、1ヶ月あたりの通信量が定められており、それによって通信料が異なる。しかしながら、スマモバのLTE使い放題プランは、ルーター本体代込みで月額3,980円で通信量の上限がない。これは斬新であり、モバイルWi-Fiルーターも小型で持ち運びしやすくスマホの充電器と共用できるのでとても重宝している。

このように、複数のSIMカードと端末を持っている。
最近は、データ通信料をシェアできるプランが多くあるが、複数のSIMカードで1つの電話番号を使って発着信させてくれるサービスがないか探している。利用しているスマホすべてで同じ電話番号で発着信できたらSIMカードを差し替える必要がない。イメージは昔々にドコモが提供していた自動車電話と携帯電話を切り替えて同一電話番号を利用するセレクフォンというサービスである。また、その上データ通信料がシェアできたらありがたい。

進化を遂げるスマホ、これからの動向が楽しみである。

2016/10/17

久々の緊張感

情報処理系の試験を受けてきた。
この方でお馴染みの場所、熊本大学で。


ほんとの会場は南キャンパス。
理学部の建物だった。


受けた試験はこちら↑

情報セキュリティマネジメント試験は、今年の春から新設された試験なのだが、熊本地震の影響で九州での春期試験は中止となったらしい。

私は、その後にこの試験の存在を知った。
利用する側として必要な知識や考え方を確認すべく受験することにした。

午前の問題は4択の50問、知識を問われる問題で当然のことながら語句やその意味を知らないと太刀打ちできない。
午後の問題は大問3問で解答すべき欄は31ヵ所あった。こちらも選択問題であったが、とにかく文章の量が多く書かれている前提条件を理解するのにかなり時間を要し、大問毎に頭を切り替えるのが大変だった。
しかしながら、比較的素直な問題が多かったような気がする。


先ほど解答が公開された。
自己採点してみたところ、何とか合格したようだが…。

合格発表は11/14(月)だそう。
吉報であることを祈っている。

2016/10/16

【予告】コンサートのお手伝い

訳あってコンサートのお手伝いをすることに。



私も歌ってベースを弾きます。

11/19(土) 17時から、熊本市上乃裏通りに面した場所で。
よかったら冷やかしに来てください。

詳しくはこちらをどうぞ!

2016/10/15

誕生日、ありがとう!

最近、訳あってネットへの露出を控えていた。
よく届く疎通確認には応じているけれど、私は元気です。

最近、誕生日を迎え、無事に年齢を重ねた。
もうお祝いする年齢でもないのだけれど、頂いたプレゼントたち。

皆様、本当にありがとうございました。


2016/07/10

私にできること

熊本地震が発災してまもなく3ヶ月が経過しようとしている。

地域によっては、あんなに大きな地震があったことさえ忘れて去られているかのように日常を取り戻している所もある。

一方で、生活復旧のめどが立たずに避難所で生活してらっしゃる方々や域外に引越せざるを得なくなった方々、職を失った方々など、この地震で大きな影響を受けている方々が数多くいらっしゃることを忘れてはならない。

発災直後から私の生活にはさほど大きな影響はない。現在、普通の生活を送ることができている。

そんな中、熊本県内外の方々が様々な取り組みをなさっていることについて、もう少し知りたいと思ったり、自分でできることは何かないかと考えるようになった。

会議やイベントに参加したり関わらせて頂いたりしたのは以下のとおり。

むしゃんよか熊本
熊本地震の被災者や支援者らが週に一度程度、「被災者支援」「復興」などをテーマに情報交換するグループ

100円ビールフェス
イベント期間中のビール1杯、おつまみ1個の販売につきそれぞれ10円ずつを熊本城の修復費用として熊本市に寄付

熊本地震 情報支援連携会議
多くの人の記憶が強いうちに、個々の活動の共有を行うことで、これからの熊本・大分への支援および、今後の災害支援に生かすきっかけとすることを目的に開催

熊本大学教育学部情報教育研究会 5月例会 緊急テーマ 熊本地震を省察する
熊本地震の出来事を省察することによって、整理し、災害時の学校と地域のあり方や未来に向けて改善案を考えていく

Support! Small Business for KUMAMOTO & OITA
熊本と大分の文化を担うスモールビジネス・オーナーのサポートや街の賑わいづくり

くまもと 元気×元気マルシェ
熊本駅周辺地域住民の多くの方を元気付け、小売業、飲食業を活性化のためのイベント

様々な方が早期復興を願い、この教訓を生かそうとする想いが原動力となり行動なさっていることは、本当に嬉しく、ありがたいことである。

私も何か復興の手助けができないか、と思い開設、友人と運営しているのが、「熊本」買って支援 なるWebページだ。
縮小する熊本の市場、販売先を広げないと経済はどんどん縮小してしまう。
インターネットの力を活用して、熊本の農作物や商品を県外の方々に知って頂き、購入して頂くことによって、復興支援となるのではないか、と考えた。
インターネット上に通販可能な情報を出してらっしゃる熊本の生産者や企業、商店の情報を勝手に(!)集めて紹介、本日時点で約150事業者の情報を掲載している。
買って支援を勝手に支援しているような状態ではあるが、情報を掲載したい方からの要望にも応じている。ちなみに掲載料は無料である。

このような熊本の復興支援を目的に、熊本の商品を紹介するようなポータルサイトを立ち上げてらっしゃる所も多く出てきた。私はできれば他のポータルサイトとも情報共有を図っていきたい。たくさんの熊本の情報がたくさんの人の目に触れ、購入して頂く機会が増えたら本望である。

現在、通販の仕組みがない事業者も、販路拡大を目的に、取り扱い商品の一覧をWebページに掲載し、顧客がインターネット上で購入できるようなオンラインショップを導入してもらいたい。
「インターネットでのやりとりは不安」と仰る方は、取り扱い商品の一覧をWebページに掲載し、電話やFaxで注文を受付する仕組みを導入されたらいかがだろうか。

そんな私も先日、「熊本」買って支援から商品を購入してみた。
購入したのは、熊本県あさぎり町のあさぎり農園さんの商品くまもとスムージーのお試し版である。

購入の決め手は以下であった。
1.日常的に野菜の摂取量が不足がちなことが気になっていた
2.熊本県産の野菜が流行りのスムージーで摂取できる
3.スムージーの作り方が簡単
4.お試し版のお手頃な価格

くまもとスムージー

注文後2日で到着。
自宅にあった青汁用のシェイカーを利用して、150ccの冷たい水にスムージーの粉をまぜてふりふり。
粉がダマになって若干残りがちだったのが気になったが、早速試してみる。

一瞬、青野菜の苦味を感じたが、ゆっくり口に含みながら飲み込むと、バナナの重厚な香りと舌触りでまろやかな味わいとなった。とても飲みやすくおいしかった。
味がおいしく、作るにも手間がかからない。これなら定期的に続けて摂取することができ、野菜不足を補うことができると感じた。
もう一つの味、くまもとスムージーマイルドも購入してみるつもりである。

最後は食レポとなってしまったが、自分が無理なくできることで復興の支援ができれば、と考えている。

2016/07/03

ビールと私

気づけばもう7月、今年は慌ただしく過ぎている。

大きな出来事といえば、4月の熊本地震。
熊本県民皆が被災者といわれているが、私の被災ぶりなんて可愛いもの。
ただ勤務校が休校となったり、予定していた講演が中止となったりで収入が途絶えたことは正直つらかった。過ぎた今だから言える話である。

お金がない、と言いながら実はよくビールを呑んだ。呑むためのお金はあるのだ、と言えば誤解を招くかもしれないが、今まで浪費していた分をビールにまわしたわけで、特に今年のビールは、私にとってある意味生活必需品だった。

以前からそうなのだが、とにかくビールを呑む時期と全くアルコールを摂取しない時期が私にはある。呑みすぎるとやはり堪えるため、身体が欲しなくなるのだろう。だから呑まなくても実は全然平気なのである。
ただ今年はそうではないようだ。

昨日までの風景がたった一晩で変わってしまった。
雄大な熊本城も、よく行ったお店も、見るも無惨な姿になった。
建物を解体するショベルカーは、思い出も壊していくかのよう。
見慣れた街が変わっていく。思い出も消えていく。
そう思うと悲しかった。
その思いを洗い流すように、毎日毎日ビールを流し込んだ。

ビールはうまい。
どんな時でも、どんな思いを抱えていてもやはりビールはうまい。
そしてまた呑む。

6月末のオーデンのビールまつりは楽しかった。
いろいろな人たちと大好きなビールで楽しい時間を共有できた。
実はあまり社交的でない私は、ビールの力を借りて楽しく過ごせているのかもしれない。
きっと私の肝臓は見事なフォアグラとなっているに違いない。

2016/02/01

目指せ、完走!

2016年2月21日(日)に開催される熊本城マラソンに初当選した。
しかも、フルマラソン!
制限時間(7時間)内に完走できるのか?という疑念がわき、熊本城マラソンの前に開催される1月10日(日)のいぶすき菜の花マラソンに参加しよう、と決意し、参加してきた。

いぶすき菜の花マラソンは、制限時間が長いためマラソンデビューの方々が多く、また地元有志の方々のおもてなしや給食がスゴい!という噂に食指が動いた。

6〜7時間でゴールする人たちのスタート地点
スタート近く、まだ元気!


池田湖でトイレ休憩の合間に撮影

心身ともにボロボロの35km地点
道中にあった憧れの給食には、立ち寄ることができなかった。
20kmを過ぎたあたりからはとてもそんな余裕はなく、途中テーピングしてもらい、何とか動ける状態になったが、今、足を止めてしまうともう走れないのではないか、という思いが私を動かした。
何とか完走できたいぶすき菜の花マラソン、ほぼ7時間かかったけれど(完歩か?)。

足の痛みが気になるところではあったが、熊本城マラソン完走を目指して、すぐに練習を再開した。



ところが!



週末の長距離走で足首を痛めてしまった。
この前の土曜日は21km走る予定だったが、あまりの痛さに途中で走るのを止めてしまった。見ると足首がかなり腫れていた。


初の鍼治療


いぶすきの直前からランニングシューズを変えたのだが、軽くてクッションがあまりなく、それが結構足に負荷を与えていたようだ。
整体へ行き、しばらくは休息した方がよいとのことで、現在は万事休す状態で時間を持て余している。