2014/02/23

ランニングフォームのチェック

今日は至る所でマラソン大会が行われていた。
大きなところでは東京マラソン、実は熊本県玉名市で開催される横島いちごマラソンに参加を試みていたのだが、諸事情のため断念した。
その代わり、朝から熊本県民総合運動公園へ行き、ランニングフォームのチェックをしてもらった。

場所は、陸上競技場の地下のトレーニングルーム。
スポーツメーカーのミズノが提供しているランニングフォーム診断システムを利用して、診断してもらった。
東京、大阪、とここ熊本にしかないこのサービス、使わない手はない。

ベルトを装着し、ピンポン球よりも少し小さいものをベルトの突起に付け、トレッドミルで走行している姿をモーションキャプチャーする、という仕組み。
普段走るよりもやや遅めのペースで設定してもらい、約10分ほど走った。

その時、頑張って走っている映像がこれ↓




そしてこのような診断書を頂いた。


「フルマラソンを走ってみたい!完走したい!」という希望を告げての診断だったので、その目標を達成するための課題を教えて頂いた。
走りのバランスは比較的良いとの事。
ただ、ヒザが若干ふらつくこと、もう少し前傾姿勢になった方がよい、とのアドバイスを頂いた。

トレッドミルでスピードを調整してもらっている時に、「これが熊本城マラソン完走義ギリギリのペースです」と教えてもらったのだが、試してみて「ん?イケるかも…」と思った浅はかな私。
15km以上走ったことがないため、まずは長距離を走るための筋力をつけることを提案して下さった。

まずは、3/9(日)の天草パールラインマラソンの10kmを楽しく完走できるよう、頑張りたいと改めて思った。


ミズノ ランニングフォーム診断システム
http://mizunorunning.jp/runningform/

2014/02/19

私の変遷

美容院に行っても「結べる程度に」とお願いし、ある程度髪の長さを保って約3年。
昨年の暮れに髪を切ることにした。
昨年の秋にランニングをするようになってから、シャワーの後の髪を乾かすために費やす時間がとても長く感じられ、もったいないと思うようになった。
若い頃はベリーショートにしていた時期もあり、その頃のように切ろうと思ったが、気持ちの踏ん切りがつかず…。
さようなら、私のロングヘア
カット後のわたし

結局前下がりのボブスタイルにしてもらったのだが、結べないし、顔に毛先がかかってとても鬱陶しく感じた。

カット 第2弾
このくらいなら…、と思ったが、やはり落ち着かない。
思い切ってバッサリと。
カット 第3弾
耳にかかるのが気に入らない。
そして結局ベリーショートに。
カット 第4弾
ちょっと伸びた
ロングヘアの頃は結んだりアップにしたりしていたので、カットしたからと言って首筋の寒さを感じることはあまりなかったが、やはり頭がスースーするような気がして、最近よく帽子をかぶっている。
トップにレイヤーを入れすぎたように感じるので、レイヤーをなくすためにちょっと伸ばそうかと考え中。
こんなこだわり、実は自分以外の人はそこまで見ていない、とわかっているのだけれど。

それって幸せの尺度と同じなのかも、と思う。
どんな環境におかれようとも、自分が幸せと感じるならばそれでいいのよね。

2014/02/18

この冬ハマった!

何年ぶりかにハマった編み物。
きっかけはコサージュづくりだったのだけれど。

コサージュ1号
いろいろなコサージュ
髪を短くしてからよく帽子をかぶるようになった。(寒いし…)
かぎ針で編んでみた。
帽子第1作目。
上と同じ帽子とカツラをかぶる私。

輪針でトライした2作目。
帽子第2作目。スパンコール付きの毛糸で。
輪針でトライした3作目。
上のものと微妙にデザインが違うのだ。
帽子3作目。ポンポン付き。
この帽子をかぶってこんな感じでウロウロしてる。
細い毛糸で編んだ4作目。
棒針と輪針でトライ。
デザインは3作目と同様、ポンポンをつけなかっただけ。
帽子4作目。綿100%の毛糸で編んだ。
とにかくこの冬はスキマ時間をみつけては編みまくった。
ただひたすら黙々と。
仕事以外の何かに集中できる時間を持つのはとても幸せな気分を味わうことができる。

2014/02/15

祖母が教えてくれたこと

今年の元旦9時35分に、私の祖母が他界した。享年93歳。

昨年末に集中治療室へ入院、見舞に行っても言葉を交わせない状態ではあったが、手を握り声をかけると、ギュっと握り返してくれ、その力強さに少し安堵していた。

無事に年を越せたらいいね、と母と話していた矢先の訃報にとても驚いた。

今年の正月はこのような理由でとても慌ただしく過ごした。

しかしながら、通夜、葬儀いずれも原因不明の高熱のため、私は参列できなかった。
その翌日には何事もなかったようにピタリと熱が下がったのだが、これも何かの因縁なのだろうか。

今日はそんな祖母の四十九日法要が無事に終わり、改めて祖母の思い出を振り返ってみた。

祖母にとって母は長女で初めての子、私は初孫にあたる。
同居ではなかったが比較的近い場所にいたため、よく行き来をしていて、大変可愛がってもらった。

何度も入院生活を余儀なくされた幼い頃、下宿生活の高校時代、若気の至りで過ごした上京時代、そしてその後も、ずっと心配ごとの絶えない私を静かに見守ってくれていた。

母は祖母のことを語る時には決まって「(祖母は)生まれてから何の楽しみがあったのだろうか」と言う。
人のため、家族のため、身を呈して来た祖母の姿を目の当たりにしたからだろう。

ある時期など、私のために毎日陰膳を据えてくれていたそうだ。
祖母は私にそのことは一言も言わなかった。
そのエピソードを後になって聞いた時、黙って静かに信念を貫く祖母の芯の強さを感じた。

昔の女性は皆、そうだったのかもしれない。

見返りを求めない慈悲の精神の美しさ、祖母が教えてくれたことが脈々と受け継がれるようひとりの人間として努力していきたい、そう感じた今日だった。