勤めていた頃と大きな違いを感じるのは、責任の重さと時間の使い方だ。
個人事業のため、ひとりで何役もこなさなければならない。
特に時間の使い方には、よりシビアになったような気がする。
勤務していた頃と比較して、コンサートに行ったり、美術館に行ったり、映画を観たりする機会が極端に減った。
これは、生活の文化的水準が下がったように思える。
財政面を憂慮して…、ということが全くないわけではないが、時間的ゆとりがなかった、というのが本音だ。
特に先月は立て込んでおり、スケジュール帳とにらめっこをしながら、乗り越えられるかどうかがとても不安だった。
それが何とか乗り越えることができ、今このようにブログを書く時間(自分自身を見つめる時間とも言える)ができたことを本当に嬉しく思う。
今月になってふと、以前Facebookに投稿した記事を思い出し、思い立った。
それは、熊本県葦北郡津奈木町にあるつなぎ美術館で井上孝治氏の写真展示のこと。
そこには、日本が戦後復興で元気を取り戻そうとしていた昭和30年代のこどもたちや街の写真が7月15日まで展示されている、とのことだった。
時間がない。
行かねば!
ということで勢いで津奈木町へ出かけた。
つなぎ美術館 |
驚いたのは、美術館からモノレールが出ていたこと。
山の上にある舞鶴城公園にモノレールでたった5分で上るらしい。
上らねば!
ということで、上った。
途中、傾斜33度の急な勾配を車両は傾くことなく水平のままで上った。舞鶴城公園から見下ろす |
不知火海も見える眺望 |
肝心の写真展では、写真の一枚一枚をじっくり見ることが出来た。
私が生まれる前の風景だが、どこか懐かしさを感じさせるものばかり。
ゴム跳びでスカートを翻す女の子、ゴムまりをつき股をくぐらせる女の子、三輪車と一緒におまわりさんにかかえられ連れて行かれる子ども、ぬかるんだ道を歩く親子、炭鉱の仕事から帰る親を迎えに来た子どもなどそこにはありのままの生活が写されていた。
身なりを見る限り、写っているのは決して裕福な人びとではないが、強く生きようとする力を感じさせる。
立ち止まりしっかりと見たくなる、どれもそんな写真ばかりだった。
同時に、今の便利さ、恵まれた環境をありがたく思わずにはいられない。
いい意味で刺激を与えてくれた写真展だった。
パンフレット類 |
帰りに、芦北町の星野富弘美術館に立ち寄った。
星野富弘氏を知らない人はいるだろうか。
順風満帆な人生を歩んでいる折、教員となりクラブ活動の指導中に事故に遭い、手足が不自由となってしまう。
その後、口に筆をくわえて絵や文字を書き始め、今では詩人・画家として活躍されている方だ。
星野富弘美術館 |
入り口すぐの壁画 |
このように詩を表現したり描いたりするまでどれほどの苦難と協力があっただろう、そう思うといたたまれなくなる。
どんなに忙しい人でも、怒りっぽい人でも、頑固な人でもきっと持っているであろう優しく素直な気持ちを思い起こさせてくれる、と思う。
忙しさにかまけ、心を亡くしがちだった私に、人として足りない部分を教えてもらったような気がした。いつでも、誰にでも、優しいひとでありたい、と思う。
そして熊本にこのような場所があることを誇りに思う。
心にも栄養を、感性を磨く時間を今後も大事にしていきたい。
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